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創世記41:1~43 大臣になったヨセフ  [説教]

【聖書個所】創世記41:1~43
【説 教 題】大臣になったヨセフ
【中心聖句】ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
(Ⅰペテロ5:6)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】333


 旧約聖書の中に登場くるヨセフという人物についてでありますが、若き日の彼の人生は災いの連続でした。次から次へと災いが彼に降りかかってきたのです。たとえば、彼が17歳のときのことですが、殺意に満ちた兄たちからは不意打ちをくらい、殴られ、蹴られ、おまけにお気に入りの長服までも剥ぎ取られ、こうして殺されはしなかったものの暗い穴の中へと投げ込まれてしまったのです。それというのも、兄たちが悪いことをすると、ヨセフはすぐにそのことを父に告げ口していたので、弟の分際でそういうことをするヨセフが兄たちには憎らしく思えてならなかったのです。また、自分が見た夢のことでも、兄たちにとってカチンとくるようなことを彼は平気で言ってくる…、そのような幼さがありましたから、このことでも兄たちは彼への怒りをためこんでいたのです。
 なお、暗い穴へと投げ込まれヨセフのその後についてでありますが、彼はたまたま通りかかった商人に銀貨20枚という値段で売り飛ばされ、こうしてエジプトの地で奴隷として働くはめになっていきます。そして、さらに悪いことには、主人ポティファルの妻からは、「私と寝ておくれ」と言い寄られてきて、それを断ると「乱暴された」と悲鳴を上げられ、こうして偽りの告発から無実の罪をきせられ、今や彼は囚人として監獄に入れられてしまうことにまでなってしまったのです。
 要するに、初めは自由の身であった彼が、次には奴隷としてエジプトへ売られて行き、ついには奴隷よりもさらに立場の悪い囚人として監獄へ入れられてしまうはめになってしまったのです。ところが、どうしたというのでしょう。きょうのところをご覧いただくと、今や、彼の立場はどん底の囚人から一挙に総理大臣へと引き上げられていくのです。何か現実離れしたお話のように思えるかもしれませんが、私たちとしては今がどんなにか苦しい、またどんなにか辛いどん底の状況であったといたしましても、そこから引き上げてくださる神さまがいらっしゃるということを、信仰をもって受けとめたいと思うのです。
 さて、そこできょうのお話ですが、ヨセフがエジプトの地で奴隷として働くようになってから13年後のことになります。彼は、今、無実の罪をきせられ監獄の中にいるわけですが…。ある日のこと、エジプトの王パロが不思議な夢を見たというのです。どんな夢でしょうか。やせ細った醜い7頭の雌牛が肉づきの良い7頭の雌牛をみんな食べてしまったという夢と、しなびた貧弱な7つの穂がよく実った7つの穂をみんな飲み込んでしまったという夢です。
 王は1晩のうちに、奇妙なこれら2つの夢を見てしまったものですから、その夢がどういう意味をもつのか気になって仕方がありませんでした。そこで、王はエジプト中の知恵ある者を集め、その夢の解き明かしを命じたのですが、結局のところ、誰一人としてその期待に応えることができませんでした。しかし、家臣のひとりが獄中にいるヨセフのことをふと思い出すのです。実は、彼は以前、ヨセフから自分の夢の解き明かしをしてもらい、助けてもらったことがありました。それで、そのときのいきさつを王に説明したのです。すると、王はさっそくヨセフを監獄から出すと、夢の解き明かしを命じたのですが…。
 ところで、16節をご覧ください。神さまの前にへりくだっているヨセフの姿を、私たちはここに見ることができます。すなわち、夢を解き明かすことができるのは、自分にその力があるからだと言っては、自分を誇っていない…。むしろ、「私ではありません。神が…」と言っては、神さまの前にへりくだっている彼の姿を見ることができるのです。ご承知のとおり、彼はかつて、夢のことやことばのことで、兄たちのかんにさわるようなことを言っては、しばしば兄たちを怒らせていました。ところが、今や、彼は信仰的にも成長し、へりくだることができるまでになっていたのです。さらには、25節以降、彼は王の夢を解き明かしていくのですが、ここでも終始一貫、彼は神さまを強調し、神さまをほめたたえているのです(25節、32節)。
 なお、ヨセフはこうして王とその家臣たちの前で見事な夢の解き明かしをしてみせます。しかも、その夢というのが、「まもなく訪れる7年間の豊作とその後に続く7年間の凶作やききんである」とのことから、その対策についても適切かつ具体的な助言を与えました。すると、彼の助言は王をはじめ家臣たち一同の心にかない、深い感銘をもって受け入れられたというのです。そればかりではありません。王はヨセフの中に目に見えない神さまの力を感じたものですから、彼をエジプトの総理大臣に任命したのです。このことはヨセフにとって思いもかけないことでしたが、事実、牢から出たばかりの彼が、30歳の若さで、一挙に、エジプトの国の支配者へと引き上げられていったのです。
 さて、ここでまとめに入りたいと思うのですが、私たちはきょう、ここから何を学ぶことができたでしょうか。2つほど挙げたいと思います。
 1つは、「へりくだる大切さ」ということです。といっても、若かったときのヨセフにはそのことがわかりませんでした。夢のことやことばのことで、兄たちのかんにさわるようなことを言っては、しばしば兄たちを怒らせていたような者だったからです。けれども、神さまからの訓練を受けることによって、彼は彼にとって最も大切な「謙遜」ということを学んだのです。そうです。信仰の訓練を通して謙遜ということを学んだからこそ、彼は「自分がやった」「自分が成功させた」などと言って高慢にならず、かえって「私ではなく、神が…」と言っては、すべての栄光を神に帰する者へと変えられていったのです。そのような意味において、ヨセフ同様、私たちも神さまの前にへりくだる者とされていかなくてはなりません。なぜなら、神に用いられる器とは、金の器でもなければ、銀の器でもなく、きよめられた器をこそ神さまは用いたもうのです。
 さて、もう1つですが、それは「ときを待つ大切さ」ということです。すなわち、神さまが一人ひとりにもっておられるご計画はすべてが最善であるということが、ヨセフにもあるときからわかってきました。わかってきたからこそ、自分に降りかかってくる災いに対してさえ、それを運命としてあきらめてしまうのではなく、また失望落胆や自暴自棄になってしまうのでもなく、むしろ今は神の訓練のときとして耐えることを学び、また神がちょうど良いときに引き上げてくださるとの希望へとそれはつながっていき、そうすると、今を大事に生きていこうとする力、また誠実に忠実に生きていこうとする力が不思議と与えられてきたのです。

 以上のようなことから、あなたが、今、どんなにか苦しい、またどん底の状況に置かれていたといたしましても、しかしちょうど良いときに、そこから引き上げてくださる神さまがいらっしゃるということを信じ、期待し、希望をもって歩んでいっていただきたいと思うのです。願わくは、あなたにそのような信じる信仰が与えられ、また生きる力が与えられることを祈りつつ、最後に、きょうの中心聖句を読んで終わりといたします(読む)。


【恵みの分かち合い】
1. 多くの苦しみをなめ、さまざまな悲哀を味わって訓練を受けたヨセフは、どのような人になりましたか。
2. きょうの中心聖句から、あなたはどのようなことを学ぶことができますか。

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