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ヨシュア記1:1-18 ヨシュアの登場 [説教]

【聖書箇所】ヨシュア記1:1~18
【説 教 題】ヨシュアの登場
【中心聖句】わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシュア1:9)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】486


 きょうは旧約聖書の中に登場してくるヨシュアという人物を取り上げます。ご承知のとおり、エジプトでの過酷な奴隷生活から神の民イスラエルを解放した偉大な指導者といえば、それはモーセでありました。しかし、残念ながら彼は約束の地カナンに入ることができず、ネボ山から約束の地カナンの全土を見届けると、120歳でその生涯を閉じたのです。そこでモーセの後継者として新しい指導者となりましたのが、今回取り上げようとしているヨシュアなのです。
 なお、ヨシュアについてでありますが、聖書は次の3つの点でたいへん良い評価をしています。第1に、彼はかつてアマレク人との戦いにおいて、その実力を最大限に発揮したところの有能な戦士であったということ。このことは、出エジプト記の17章からわかります。第2に、彼は長い間、指導者モーセに従い、苦楽を共にしてきたところの従順な従者でもあったということ。このことは、出エジプト記の24章からわかります。そして第3に、彼はカナン偵察の際、10人が消極的な報告をしてきたのに対して、彼とカレブだけは「たとえ困難があろうとも、私たちは信仰をもって前に進むべきである」と主張することができた、言わば勇敢な信仰者でもあったということ。このことは、民数記の14章からわかるわけですが…。ともかくも、聖書がそのように記しているということは、神が彼を「有能な戦士」「従順な従者」「勇敢な信仰者」として、お認めくださったということでもあるのです。
 ところで、きょうのところをみていくと、モーセの後継者として新しい指導者となったヨシュアに対して、神が期待しておられたことが3つあることに気がつきます。1つめは、神のご命令に生きるということでありまして、2節や7節や8節からそのことがわかります。要するに、「ヨルダン川を渡れ」「約束の地に行け」「律法を守り行なえ」と仰せになる神のご命令を聞いて、はたして彼がそのみことばに生きようとするかどうかが問われていたわけですが…。聖書を読み進めてまいりますと、みことばに生きようとする「信仰」が彼の内に常にあったことが私たちにもわかるのではないでしょうか。
 なお、現代に生きる私たちに対しましても神は同じようなことを期待してはいらっしゃらないでしょうか。すなわち、指導者はもちろんのことクリスチャン一人ひとりが、神のみことばを信じて生きようと願っているかどうかが、今日も問われているように思うのです。たとえば、私たちが属している福音伝道教団の「教憲」の第一条をみると、「旧新約聖書66巻は、神の霊感によるもので誤りのない神のことばであり、救い主である主イエス・キリストを示し、信仰と生活の唯一の基準である。」との信仰告白がなされているわけですが…。まさしくそのとおりに、聖書を誤りのない神のことばとして、また信仰と生活の唯一の基準として受けとめさせていただきながら、大切なこの聖書信仰に生きていきたいものだと思うのです。
 続いて、神がヨシュアに対して期待しておられた2つめのことですが、それは神のお約束を信じるということでありまして、このことは3節からわかります。というのも、このとき約束の地カナンはまだ彼らのものではありませんでした。彼らへの約束は未来のものだったからです。けれども、彼がその約束を信じて生きようとするかどうかが問われていたわけですが…。やはり聖書を読み進めてまいりますと、神ご自身の約束を信じて生きようとする「希望」が彼の内に確かにあったことを私たちは知るのです。
 同様に、現代に生きるクリスチャンに対しましても神は同じようなことを期待しておられるのではないでしょうか。すなわち、神は私たち一人ひとりが、神ご自身のお約束を信じ、希望をもって生きようと願っているかどうかが、今日も問われているように思うのです。こんな話があります。その昔、小さな船が激しい嵐に見舞われ遭難しました。乗組員の中で生き残ったのは、たった一人だけでした。小さな無人島に漂着した彼は、毎日のように浜辺で船が来て救出してくれるのを待っていましたが、何も起こりませんでした。そこで彼は簡単な小屋を建て、「いつか誰かが助けに来てくれる」という希望をもちながら暮らすことにしたそうです。ところが、ある日のこと、彼が食料探しをしていたとき、ふと小屋のほうを見ると何と煙が上がっているではありませんか。彼はあわてて戻りましたが、小屋はすでに燃え尽きてしまいました。彼はかなりがっかりしましたが、すぐに気を取り直して、新しい小屋を建てることにしました。すると、翌朝のことになりますが、一隻の船が島に近づくと、彼は無事に救出されたのです。なお、その際、彼は船長にこう尋ねたそうです。「なぜここに人がいるとわかったのですか。」と…。すると船長はこう応えました。「昨日、煙が上がっているのが見えたからだよ。しかし、潮の流れが逆で島に近づけなかったので、朝まで待ってあなたを救出することにしたのだよ。」と…。
 要するに、私は何を言いたいのかというと、「失敗に直面したとき、災難に襲われたとき、あるいは失意に沈んだとき、心の支えになるのは希望だ」ということです。しかも、クリスチャンには「天の御国」という神ご自身からの約束をいただいているわけですから、これこそが生きる希望となって、試練や逆境のときの生きる力になっていくのではないでしょうか。
 ところで、神がヨシュアに期待していた3つめのことでありますが、それは神のご臨在を覚えるということでありまして、このことは5節と9節からわかります。要するに、「わたしはあなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」と仰せくださる「神の愛」がわかって、愛には愛で心から応答していこうとするヨシュアであるかどうかが、このとき問われていたわけですが…。この点でも、彼の神への愛を疑う人は私たちの中にひとりもいないのではないでしょうか。
 なお、現代に生きる私たちクリスチャン一人ひとりに対しましてもヨシュアと同じ期待が寄せられていると思うのですが、いかがでしょうか。すなわち、「わたしはあなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」と仰せくださる神の愛が本当にわかって、愛には愛で心から応答していこうとするあなたや私であることを神は求められておられると思うのです。
 以上のようなわけで、神のみことばには信仰を働かせ、神のお約束には希望を抱き、そして神の臨在には愛をもって応答していく…、そんなお互いでありたいと思うのです。


【恵みの分かち合い】
1.神がヨシュアに期待していたことは何でしたか。
2.「信仰」「希望」「愛」について、さらに深く学んでみましょう。

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