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マタイ14:22-33 湖の上を歩かれたイエスとペテロ [説教]

【聖書箇所】マタイの福音書14:22~33
【説 教 題】湖の上を歩かれたイエスとペテロ
【中心聖句】信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
(ヘブル12:2)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】321


 この箇所は、イエスさまの弟子たちが舟に乗っていたところ、途中で嵐に会い、どうすることもできなくなってしまったというお話です。なお、このお話のすぐ前に「5千人の給食」として知られている出来事が記録されています。イエスさまが5千人もの人々、いや、男性の数だけで5千人でしたから、女性や子どもたちを加えると1万人近くはいたでしょうか。不思議なことに、イエスさまが5つのパンと2ひきの魚で、この群衆を養うという奇蹟を行なわれたのです。それにしても、こんなことがありえるのでしょうか。イエスさまの弟子たちでさえ、最初、それは不可能なことと思っていました。ところが、イエスさまがそれを手にして祈ったところ、不可能が可能となったのです。何とすばらしいイエスさまのみわざではないでしょうか。人々はそのパンと魚を食べ、満腹になるのです。ところが、そのあとですぐに、弟子たちは思いもかけない試練に遭遇します。それがきょうのところです。そしてこのことはまるで「人生とは、大きな祝福のあとに思いもかけない出来事にでくわすことがある」ということを、私たちに教えているかのようでもあるのです。
 さて、24節をご覧ください。ここには注目すべき3つのことが記されています。1つめは、舟は「陸から離れていた」ということです。すなわち、人間とは何かに頼らなければ生きていけない存在です。ある人は知識に、ある人は力に、ある人は金銭に、ある人は配偶者に、ある人は子どもに、ある人は両親に、ある人は恋人に、ある人はペットに…。ところが、もし頼りにしていたものとの関係がぷっつりと断たれてしまったら、私たちの心はどんなに暗くなってしまうことでしょう。このように、幸福のあとで、まるで舟が陸から離れていくかのごとくに、頼りにしていたものから引き離されてしまうということが人生にはあるということです。2つめは、「向かい風なので」とあるように、幸福のあとで、まるで向かい風がくるかのごとくに、自分が考えていたことや願っていたこととは正反対の出来事に遭遇することが人生にあるということです。そして3つめは、「波に悩まされ」とあるように、幸福のあとで、まるで波に悩まされるかのごとくに、周囲の人々からの中傷、ねたみ、怒りなどが身にふりかかって、心が打ちのめされてしまうことが人生にはあるということです。なお、25節の「夜中の3時ごろ」ということばからは、そのような人々の心の状態がいかに暗黒であるかを表わしている印象を受けるわけですが…。いずれにせよ、頼りにしていたものとの別離、思いもよらぬ出来事との遭遇、周囲の人々からの中傷といったようなものは、私たちの心を暗くさせるわけです。
 戦後初めて処刑にされたある女性死刑囚のお話ですが…。彼女は殺人犯で、「日本の鬼女ともいえる極悪人」と言われてきました。彼女について少しふれてみると、その顔つきはまるで荒らくれ男以上の凶悪で、検察官の口をかりれば、彼女には愛のひとかけらもありませんでした。それというのも、彼女は醜い顔に生まれたばっかりに、子どものときから誰にも愛されず、「かわいいわね」と言われたことが1度もなかったそうです。クラスの子からはいじめられ、頼りにしていた両親からは愛されず、心の底ではいつも寂しい、悲しい孤独な思いをしてきたというのです。娘になってからも、愛をささやいてくれる人はおろか、やさしい気持ちで接してくれた人がひとりもいなかったというのです。そしてその不幸な積み重ねが、ついにこんな思いもよらぬ殺人という反社会的行動を起こす結果となってしまったというのです。
 また、次のお話は古い資料で恐縮でありますが、総理府青少年対策本部編集、大蔵省印刷局発行の『青少年白書』(54年版)の中に、家出少年の記事が取り上げられていまして…。それによると、警察が発見、保護した家出少年の数は年々増加を続けているそうです。中でも女子の増加は著しいというのです。そこで、この家出少年を学識別(未就学児、学生・生徒、有職、無職)にみてみると、学生・生徒が全体の約70%を占めており、男子は中学生、女子は中高校生に多いのが目立っています。要するに、一般的に、家出は少年が心理的に動揺しやすい時期、すなわち進学・就職前後(3~4月)と夏休み明けの時期が比較的多いということです。
 次に、家出の原因・動機についてみていくと、いくつかのタイプがあるようです。第1位は、家庭や学校等、少年の周辺社会でのトラブルから逃れようとする「逃避型」で、全体の約66%を占めています。その内訳は、親等の厳格・干渉しずぎ、家庭内の不和、学校嫌い、学業不振等が挙げられています。続いて第2位は、就職その他何らかの目的をもった、いわゆる「欲求指向型」で、これは全体の約33%を占めています。そして第3位は、「不明・判定不能」の約1%になります。では、家出少年の非行や被害はどうなっているかについてもみてみたいのですが、家出少年中、約12人に1人(男子は約7人に1人)の割合で罪(強盗、強姦、暴行、恐喝、窃盗等)を犯しているそうです。逆に、多くの家出少年、特に女子は被害にあっていて、窃盗、強姦、暴行、恐喝はもとより、深夜労働をさせられたとか、風俗営業等に売られたとかがあるそうです。それにしても、逆に今では、お金もうけのために自ら売春をしている女子中高生がいることも気になるところです。
 では一方、保護者の捜索願出の状況はどうなっているかというと、捜索願出をしなかった保護者が少なくなかったという報告結果がでています。そして、出さなかった理由をみていくと、すぐに帰ると思ってが50%、家出を知らなくてが20%、自力で発見できると思ってが10%、家出をしてもかまわないと思ってが5%、世間体を気にしてが同じく5%となっており、保護者の放任や無責任な態度によるものが多かったのには驚かされます。以上、家出少年については、家庭や社会を暗くするひとつの問題として取り上げてみたのですが…。
 お話をもどしましょう。イエスさまの弟子たちは、思いもかけない試練の中にあって、身動きがとれず、心は暗くなるばかりでした。しかし、イエスさまはそんな暗闇の中にある弟子たちのもとに来てくださったのです(25節)。しかしながら、弟子たちは最初、湖の上を歩いて来られたお方がイエスさまだとは気がつきませんでした。むしろ、その不思議さに驚き、戸惑い、「あれは幽霊だ」と叫んでしまうのです。そこで、イエスさまは彼らを落ち着かせ、また自分を取り戻させるために、やさしくも威厳をもって彼らに話しかけられました。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」(27節)と…。すると、その正体がイエスさまだとわかったペテロは、生来の衝動的性格が出たのでしょう、イエスさまのもとにすぐに行きたくて、湖の上を歩けるようイエスさまに願い出るのです。そると、イエスさまが「来なさい」と言ってくださったので、信じてお従いすると、何と、ペテロは水の上を一歩また一歩と歩き出すことができたではありませんか。ところが、ふと風を見てこわくなったペテロは、湖の上を歩くことがもはやできないで沈みかけていくのですが、それはイエスさまから目を離してしまったからなのです。
 なお、信仰の十分でない、沈みかけたペテロに対して、イエスさまは「おまえは疑ったな。だから沈むのだ。今後のこともあるから、懲らしめのために、もうちょっと沈んでいなさい。」とは言いませんでした。むしろ、すぐに手を伸ばして彼を助けました。そしてその後で、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」と言われたのです。このことばは冷たくも感じますが、あえてそうおっしゃってくださったイエスさまのお心を知るとき、恐らく、衝動的なペテロにとって、今後の信仰生活のよき助言ともなったのではないでしょうか。
 なお、イエスさまが舟の中に乗り移ると、「風はやんだ」(32節)とあります。要するに、今までの激しい風と波とは、うそのように静まり返ったということです。なお、このことは私の人生という舟にもイエスさまに乗り込んでいただく大切さを教えてはいないでしょうか。そうです。イエスさまは私の人生の海の嵐をさえ静めることのできるお方なのです。願わくは、心を騒がせやすい私たちではありますが、このイエスさまを自分の心に歓迎し、また今回の中心聖句にも心をとめ、いよいよ彼に信頼して歩んでいこうではありませんか。


【恵みの分かち合い】
1. あなたは、思いもかけない試練や困難に出くわしたことがありますか。
2. きょうの中心聖句は、あなたにとってどのような意味(もしくは教訓)がありますか。

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