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先駆者ヨハネの誕生 ルカの福音書1:5~25、57~66 [説教]

【聖書箇所】ルカの福音書1:5~25、57~66
【説 教 題】先駆者ヨハネの誕生
【中心聖句】「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ3:2)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】446


 皆さんは、救い主イエス・キリストの誕生の記事が新約聖書のどの福音書に記されているか、ご存じでしょうか。実は、マタイの福音書とルカの福音書とに記されているのです。では、それぞれの福音書の特徴は何かというと、マタイの福音書の方では救い主イエス・キリストの系図に続いて、すぐに彼の誕生の物語が記されているのに対して、ルカの福音書の方では、バプテスマのヨハネの誕生と救い主イエス・キリストの誕生とが交互に記されているというのが特徴になります。そこで今回は、救い主イエス・キリストの「前ぶれ」(17節)として聖書に紹介されているバプテスマのヨハネについて注目してみましょう。
 さっそくですが、昔、イスラエルの国にザカリヤとエリサベツという老夫婦がいました。夫のザカリヤは神殿で神に仕える祭司で、神の前に正しく生きる敬虔な老夫婦でありました。けれども、そんなふたりにも悩みがありました。どんな悩みでしょうか。それは子どもがいないということ。すなわち、イスラエルでは当時、子どもは神からの恵みであり祝福であると考えられていました。反対に、子どもがいないということは非常に恥なことであり不幸なことであると考えられていたのです。しかも世襲制の祭司の家系にとって子どもがいないということは、「断絶」を意味していましたから、ふたりにとってそれはかなり深刻な悩みでもあったわけです。
 さて、ある日のこと、ザカリヤはとても大切な仕事をすることになりました。神殿で香をたくという仕事です。調べによると、その仕事は一生のうちで一度あるかないかの実に名誉ある仕事だったようです。なお、今回の聖書箇所にあるように、不思議な出来事が起こったのは、彼がちょうど神殿で香をたいていたときのことでした。ふと目を上げて見ると、何と、香をたく壇の右のところに主の使いが立っているではありませんか。あまりにも突然のことで、驚き震え上がっていると、御使いは口を開いて彼にこう告げました。「ザカリヤよ。こわがることはない。神があなたの願いを聞いてくださったのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名前をヨハネとつけなさい。ヨハネは胎内にいるときから聖霊に満たされ、イスラエルの人々を神に立ち返らせる働きをします。また救い主を人々に紹介する働きをすることにもなるでしょう。」と…。
 ところが、どうでしょう。このときザカリヤは御使いのことばを信じることができませんでした。ふたりとも高齢であるという現実を考えるとあまりにも信じられなかったのです。そのため、御使いは彼に言いました。「私はこの良い知らせをあなたに告げるために、神から遣わされてきた。しかし、あなたは私のことばを信じなかった。そのことのために、あなたは子どもが生まれるまで口がきけなくなる。」と…。すると、御使いが言われたとおり、ザカリヤは確かに口がきけなくなってしまったのです。
 さて、それからしばらくして後、神の約束は本当に成就いたしました。エリサベツは妊娠し、おなかも大きくなり、やがて元気な男の子を産んだのです。そして8日目、いよいよ赤ちゃんに名前をつける日がやってきました。すると、周りの人々はお父さんと同じザカリヤという名前にしたらいいと言ってきました。それというのも、生まれてきた子どもにはお父さんや親戚の人の名前をつけるのが当時の一般的習慣だったからです。
 ところが、妻のエリサベツが「その子の名はヨハネという名にしなければなりません。」と言ってきたものですから、人々は不思議に思いました。というのも、親戚にさえそのような名前の人がいなかったからです。そこで夫のザカリヤに確かめようとしたところ、口のきけないザカリヤが「彼の名はヨハネ」と書き板に記したものですから、人々はみな驚きました。しかし、このときからザカリヤの口が再びきけるようになり、彼がそのいきさつをあれこれ話し出すと、人々はこのようなことをなさる神を恐れるようになりました。さらには、これらのことがユダヤの山地全体にまで語り伝えられていくようになっていったものですから、その子ヨハネには人々から大きな期待が寄せられていくようになり、こうして成人した彼は、後に、バプテスマのヨハネと呼ばれるようになっていくのです。そして御使いが言われたとおり、彼はたくさんの人々を神に立ち返らせる働きや救い主イエス・キリストを人々に紹介する働きをするようになっていったのです。
 そこで今回、私はこのヨハネが語った中心メッセージである「悔い改め」ということを取り上げてみたいと思うのですが…。ご承知のとおり、クリスチャン生活の出発点は何かといえば、それは「悔い改めと信仰」です。なぜなら、使徒の働き20:21のところでパウロは次のように言っているからです。すなわち、「ユダヤ人にもギリシャ人にも、(つまり、すべての人に対して、私は)神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。」と…。また、このことは使徒の働きに登場してくる主の弟子たちにしてみても同じであり、彼らが人々に大胆に語り伝えたのは悔い改めと信仰だったのです(2:37~41、3:19、16:31など)。
 では、クリスチャン生活の出発点として大切な、この悔い改めとはいったい何かというと、思うにそれは「自分の心の方向転換」ということではないでしょうか。そしてそれは単なる「後悔」や「反省」ではありません。神に背を向けて生きてきた自分が180度方向転換して、これからは神と共に歩んでいくという決断をすること…。これが悔い改めではないかと思うのです。しかし、そのためにはまず自分の罪の人生を深く悲しみ、嘆くということから始めなければなりません。すなわち、聖書という鏡を通して私たちは次のような自分が見えてこなければならないと思うのです。
 ・罪ある存在としての自分
 ・病める存在としての自分
 ・死する存在としての自分
 要するに、このようにして「救われがたい存在としての自分」が見えてくることによって、私たちの心に悔い改めが起こってくるのです。けれども、不思議に思うのは、これは自分自身に関してですが、よくもまあ自分のような頑固な者に悔い改めの心が起こったものだなあということです。しかし、これは後でわかったことなのですが、信じるということもさることながら、悔い改めるということも、実は、神の恵みによるみわざであり、聖霊の働きによることだったのです。
 というわけで、信仰生活のスタートは、確かに自分の側からしてみるならば悔い改めと信仰ということになるわけですが、しかしそうさせてくださったのは神であり、神の側の先行的な恵み、また聖霊の働きが私たちを悔い改めと信仰へと導いてくれたのです。では、神の恵みは信仰生活の出発点だけに限定されてしまうのかというと、そうではありません。神は、今も、後も、信じる者と共にあり、恵みを注いでくださり、注ぎ続けてくださる…、そういうお方なのです。願わくは、その恵みを無駄にしないで、常に受け取りやすい器になっていたいものだと思うのです。


【恵みの分かち合い】
1.バプテスマのヨハネの使命は何だったと思いますか。また、あなたの使命は何ですか。
2.「○○に生きるクリスチャン」。さて、「○○」のところに自分の好きなことばを入れてみましょう。

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神殿建築とソロモンの失敗 列王記 第一 6:1~2、11:1~6 [説教]

【聖書箇所】列王記 第一 6:1~2、11:1~6
【説 教 題】神殿建築とソロモンの失敗
【中心聖句】あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3:6)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】311


 ソロモンが王になって4年目のことです。彼は父ダビデから託された神殿建築という大事業に取りかかりました。ちなみに、その神殿の構造について説明いたしますと、基本的には荒野の時代の幕屋と同じでした。手前には犠牲をささげる祭壇があり、その奥には本堂(聖所)と内堂(至聖所)がある建物としたのです。そして、完成の際、神殿は罪を贖うための犠牲の儀式が行なわれる場になっていきました。また、神がイスラエルの民と共にいてくださる臨在のあかしとして、彼らにとっては決定的に大切な信仰の施設ともなっていったのです。
 思い返せば、父ダビデも神殿建築を願っていました。けれども、神がダビデに求めておられたのはそのための下準備だったようです。そこで、彼は神殿建築のための場所をまずは確保することにしました。また、引き継ぐ息子ソロモンのためには、資材の調達や自国にはない高度な技術を近隣の国々から得るための外交等など、できる限りの準備を重ねました。要するに、そのような父ダビデの努力と情熱があったからこそ、ソロモンもそれに応えて最善を尽くし、大事業であった神殿の完成をみることができたのです。
 なお、ソロモンはこうしてダビデの願いを引き継いで念願の神殿を完成させたわけですが、その第二期工事として今度は宮殿の建築に取り組むのです。調べによると、神殿完成には7年、宮殿完成には13年の年月が費やされたようです。完成した神殿ですが、それは長さ26㍍、幅9㍍、高さ13㍍の建物で、膨大な金や銀や宝石などがふんだんに用いられていたようです。ですから、そのスケールの大きさといい、豪華さといい、細工の巧みさといい、当時の世界建築においてこれに並ぶものはなかったと言われています。
そして、完成した神殿には父ダビデが戦利品として得たすべてのものが運び入れられました。また、祭司たちの手によって大切な契約の箱が至聖所に納められました。すると、神の栄光が神殿に満ちあふれたものですから、ソロモンは主の御前にへりくだりました。そして、罪の赦しと悔い改めを受け入れていただくことを求めて、民を代表して神に祈りがささげられました。さらにまた、完成した神殿さえ神のものであるとして、これをささげる奉献の祈りがささげられたというのです。
ということで、実にすばらし神殿建築と奉献の祈りをささげたソロモンではあったのですが…。とはいえ、人間とはだれしも罪深い存在であります。後になって、ソロモンもまた悪しき罪にとらわれてしまうのです。すなわち、イスラエルの地位が国際的に高まり、諸外国との交流が進み、王への称賛の声も高まるにつれて、富の誘惑、性的な誘惑、宗教的な誘惑に勝利することができず、ソロモンは屈していくのです。思うに、彼は父ダビデの失敗やサウル王の失敗を知っていたはずです。しかし、人間の罪深さといいましょうか、あのソロモンでさえ罪を犯し、その繁栄は彼の人生の後半においてもろくも崩れ果てていくのです。
はたして、そのきっかけは何だったのでしょうか。思うに、ソロモンが王になりました最初のころ、彼はエジプトの王パロの娘を妻として迎え入れたわけですが、ここからすでにじわりじわりと崩壊が始まっていたのではないでしょうか。というのも、これは人間的な知恵を頼りにしてしまったところの政略結婚であって、まことの神への信仰からくる決断ではなかったからです。もちろん、彼に信仰がなかったわけではありません。けれども、神に信頼しきれない彼の弱さと妥協、信仰的無力さや無知、このようなものがソロモンの信仰的な決断をにぶらせたのです。
 こういうことで、以後、ソロモンは次々に外国の女性たちと結婚し、ほかにもそばめを召し入れるようになっていくのですが…。するとどういうことになるでしょうか。はじめは唯一の神である主に従っていたソロモンが、やがては妻やそばめたちの信じる他の神々をも認めて便宜をはかるようになり、ついには王を頂点としてイスラエル全体が偶像礼拝という信仰的堕落に落ち込んでいくのです。
 なお、神はソロモンのこうした態度をさばかれました。というのも、国外からは敵対者が起こって王国は苦いめにあい、国内からは反逆者が起こって、ソロモンの死後、イスラエルは2つの国に分裂してしまったからです。
 以上のようなわけで、私たちは今回、次の2つの教訓を得たいと思います。
① 神に対する初めの熱心さを失い、神から離れてしまうことがソロモンだけでなく、私たちにもありうるということに気づき、日々、神に信頼していくということ。
② 神に敵対して堕落するわけではないが、ときに妥協の道を選んで堕落していくこともあるということを覚え、ひたすら神の側に立って歩み続けていけるよう祈るということ。そのためにも、今回の中心聖句を覚えておくことにいたしましょう。


【恵みの分かち合い】
1.サウル王、ダビデ王、ソロモン王の弱点は、各々、何だったでしょうか。
2.クリスチャンとして日本で生きていく上で、どんな困難がありますか。

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