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創世記2:18~24 アダムとエバ(ふさわしい助け手 [説教]

【聖書箇所】創世記2:18~24
【説 教 題】アダムとエバ(ふさわしい助け手)
【中心聖句】それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。(エペソ5:33)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】394

 きょうの説教題は「アダムとエバ」、副題は「ふさわしい助け手」としました。きょうは、ここから結婚夫婦を考える上で大切になってくるいくつかのことを取り上げてみたいと考えています。
 さっそくですが、18節に「人が、ひとりでいるのは良くない」とあります。はたして、その意味するところは何でしょうか。ある人は、「独身でいることは、人間としてよろしくない」と考えるかもしれません。けれども、実は、そういった「ひとりよりはふたり」といった、いわば数が問題にされているのではないようです。では、どういう意味があるのかというと、「人間は、男性だけではよろしくない」…、つまり性別のことが問題にされているようなのです。
 では、人間はなぜ男性だけではよろしくないのかというと、第1に、男性だけでは神のみこころにかなっていないからです。このことは、神の創造のみわざである自然界に目をとめていただくなら、誰しもが納得できるのではないでしょうか。ご承知のとおり、自然界にはハトやカラスなどの鳥類がいますが、これらはオスとメスとに分かれています。また、海にはマグロやサバなどの魚類がいますが、やはりこれらもオスとメスとに分かれています。またライオンやゾウといった陸の動物にしてもしかり、それらはオスとメスとに分かれています。では、ハチやアリといった小さな昆虫はどうでしょうか。やはり、それらの小さな世界にもオスとメスとがいるのです。さらには、植物の世界にしてもしかり、そこにはオシベとメシベがあることを私たちは知っています。
 要するに、人間もそれらと同じであって…。人間は、男性だけではダメなのです。同じく、女性だけでもダメなのであって、人間には男性と女性とがあって、はじめて神のみこころにかなうことができるのです。聞くところによると、世界の人口が約60億として、その男女比はおおよそ半々だそうです。また、この男女比は人類の歴史始まって以来ほとんど変わっていないというのですから、不思議な気がします。
 さて、人間はなぜ男性だけではよろしくないのか、その2つめの理由ですが、それは男性だけでは神のみこころにかなっていないばかりか、神のみこころを完全に行なうことができないからです。しかも、ここで言っている神のみこころとは、1:28で教えられているところの「子孫繁栄」ということにおいてです。ご承知のとおり、男性と女性とでは、からだのつくりが違うと言いますか、やはり子孫を増やすという点において、このことは男性だけではどうすることもできない事柄なのです。
 さて、次にいきたいと思いますが、18節に「ふさわしい助け手」とあります。はたして、これにはどういう意味があるのでしょうか。ある人によれば、これには「真実な協力者」とか、「かけがえのないパートナー」という意味があるそうです。そしてそれが本当にそうだとしたら、夫は妻をどう理解してきたでしょうか。歴史上、女性が子を産む道具として、あるいは家の雑用をしてもらうために雇っている召使のように扱われてきた時代があったと聞いていますが、聖書の原則に従うなら、いつの時代であれ、夫は妻を「真実な協力者」として、もしくは「かけがえのないパートナー」として理解することが大切になってくるのではないでしょうか。
 なお、21節と22節をご覧いただくと、女性は男性のあばら骨の1つから造り上げられたと、聖書は言っています。ということは、どういうことが言えるでしょうか。マシュー・ヘンリーという人はこのことについて次のようなことばを残しています。「女性は、アダムの脇のあばら骨から造られた。彼の上に立つために、頭から取られたのでも、彼に踏みつけられしいたげられるため、足から取られたのでもない。彼と同等になるためその脇から、保護されるために腕の下から、愛されるために心臓の近くから取られた。彼はあばら骨を失ったが、力も容姿も損なわれていない。疑いもなく、傷跡は残らなかった。むしろ、彼は失ったものを満たして余りある良き助け手を得た」と…。※1
 ところで、今度は24節をご覧ください。ここには大切な2つのことが教えられています。1つは「結婚する場合、何が大事になってくるか」ということであり、もう1は「では結婚した場合、今度は何が大事になってくるか」ということです。そこでまずは第1のテーマを取り上げてみたいと思うのですが、結婚する場合、はたして何が大事になってくるのでしょうか。聖書によれば、それは「父母を離れる」とあります。たとえば、経済的な面での自立ということからするなら、親の財布をいつまでもあてにしていてはいけないということです。また、精神的な面での自立ということからするなら、親子の結びつきよりもむしろこれからは夫婦の結びつきをしっかりさせていかなければいけないということです。いずれにせよ、この点で早くに、子は子で「親離れ」を、親は親で「子離れ」をしていくことが幸せな夫婦生活を送る鍵であるということを聖書は教えているのです。
 さて、次のテーマを取り上げてみたいと思うのですが、では結婚した場合、今度は何が大事になってくるのでしょうか。聖書によれば、それは「結び合い、ふたりは一体となる」とあります。すなわち、夫婦はまず霊的にも、精神的にも、しっかりと結び合わされていくべきであり、そのためには共に祈ることや夫婦の会話といったようなことが大切になってくるというわけです。さらには、性生活を通しての一体化ということも非常に大事なことのようです。なぜなら、家庭不和の大きな原因の1つが、この性生活の不調和にあると言われているからです。ちなみに、ある本によると、「性生活さえ順調であれば、たいていの場合、他の少々の摩擦は問題にならない。性生活の均衡を保つことは、結婚生活には絶対に必要だ」と書いてありました。ついでながら、こんなことも書いてありました。「家庭不和の原因の大部分は、きわめてささいなことです。主人が出勤する時、妻が手を振って見送りさえすれば離婚は回避できるような場合が多い。そして、このことは夫にも言えることであって、妻へのささやかな賛辞や心尽くしの価値を軽くみすぎている男性がなんと世に多いことか。数本の花を贈るのに彼女が病院に入院するまで待つ必要はありません。早くに実行すべきです」と…。
 いかがでしょうか。以上のようなわけで、きょうは夫婦を考える上での聖書の教えについてみてきたわけですが…。願わくは、きょうの中心聖句に心をとめたいと思うのです。そして、妻は妻として「夫を敬う」とは、どのようなことであるのか。また、夫は夫として「妻を愛する」とは、どのようなことであるのかを思い巡らしていただきながら、この一週間を過ごしていただきたいのです。主はあなたとの親しい交わりの中で、あなたに語りかけ、また大切なことに気づかせてくださるに違いありません。

※1 「内藤先生の家庭セミナー」(内藤きみよし著、ファミリー・フォーラム・ジャパン p.54)
【恵みの分かち合い】
1.独身でいることの幸い、また夫婦でいることの幸いについて、話し合ってみましょう。
2.「夫を敬う」とは、また「妻を愛する」とは、どのようなことを意味するでしょうか。

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創世記1:1-5 創造の神 [説教]

【聖書箇所】創世記1:1~5
【説 教 題】創造の神
【中心聖句】初めに、神が天と地を創造した。(創世1:1)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】21


 きょうは、旧約聖書の1ページにある1番最初の1文、すなわち創世記の1:1を取り上げたいのですが、そこには「初めに、神が天と地を創造した。」とあります。はたして、この聖書のことばには、どのような意味内容が込められているいのでしょうか。思うに、これには「神による創造の宣言」という意味内容が込められているのではないでしょうか。すなわち、天地万物の創造者であられる神が存在し、その神によって天地万物が創造されたということが厳かに宣言されていると思うのです。また、この聖書のことばには「神からの私たち人間へのメッセージ」という意味内容も込められているのではないでしょうか。といいますのも、「世界の始まり」がどうであったかについて、私たちにはそれは大きな謎です。人の思いも経験もはるかに及ばない隠された事柄です。しかし神の側からそのおおいを取りのけてくださり、私たちにわからせてくださったという点において、この1文は神からの私たち人間へのメッセージになっていると思うのです。
 ところで、この短いメッセージの中には、私たちが知らなければならない2つの要素が含まれています。それは、「時間」と「空間」ということです。たとえば、これを数学の‘座標’におきかえてみると、「時間」は横軸、「空間」は縦軸になるでしょうか。そして、私たちという存在をこれにあてはめて考えてみると、私たちは例外なく「時間」という横軸と、「空間」という縦軸の中に生きているわけです。なお、私たちにはここで見落としてはならない大事なことが1つあります。それは、縦軸と横軸との接点、つまり‘原点’を忘れてはならないということです。なぜなら、原点がどこであるのかがわからずに、また原点がどこであるのかが定まらずに、どうやって自分の位置を確かめることができるでしょうか。
 そこで、私たちは今回の聖書のことばから、「時間」と「空間」の原点を探っていこうとしているわけですが…。たとえば、「初めに、神が」と聖書が言っていることからすると、初めに存在された神こそが時間の原点であり、かつその神が「天と地を創造した」とあるわけですから、この神こそが空間の原点でもあると、そのように理解することができるのではないでしょうか。そして、このようにして「時間」と「空間」の原点が創造の神であるということを私やあなたが認めたとき、私たちは自分の位置を確かめることができ、自分の存在の意味や自分の存在の価値とかいったようなことを見い出すようになっていくのではないでしょうか。というようなわけで、「神はおられる」という前提に立つか立たないかで、自分の人生は大きく違ってくるということをまずは覚えておきたいと思うのです。
 なお、まことに残念でならないのは、多くの日本人がこの神を知らないし、また知ろうともしたがらないということです。しかも、その結果はどうでしょうか。原点を知らず、原点を見失ってしまった人々は、「私はどこから来て、どこへ行くのかわからない。」「私は何を見、またどちらの方向へ歩んでよいのかわからない。」…。要するに、自分の原点が定まらず、原点を見失ってしまった彼らは、こうして毎日があてのない日々、喜びのない、生きがいのない、生きてはいるのだけれどもまるで死んだような日々を繰り返しているのです。かの有名な神学者アウグスティヌスのことばに、「人は神によってつくられた。したがって、神のふところに憩うまでは安きを得ない。」というのがありますが、本当にそうだなと思うのです。
 ところで、「天と地」ということばにも注目したいのですが…。調べによると、「天」とは地球以外の広大な宇宙、そして「地」とは私たちの住むこの地球をさしているようです。要するに、日本の古いことばに「森羅万象」というのがありますが、まさに神は、私たち人間や動物、植物、土や石や水、山や川や海、雲や大気、それらを保つこの地球、そして太陽系の星々、銀河宇宙、さらにはその外のはるかかなたの星雲のすべて、宇宙の果ての果てまで、その全部をお造りになられたというのです。そればかりではありません。コロサイ書というところをみると、「見えるもの、また見えないもの…も造られた」(1:16)とありますから…、これらをも含めて、聖書の教える神は「天地万物の創造者」であられるということをクリスチャンも再確認させていただき、私たちが真に礼拝すべきは太陽や月や木や石など造られたものにではなく、そのすべての造り主であられる神にこそ、そうすべきであるということを心に深く刻み込んでいきたいと思うのです。
 最後になりますが、「創造した」ということばにも注目してみましょう。調べによると、これにはヘブル語の「バーラー」ということばが使われています。すなわち、これは無から有を生み出すところのことばであって、神は何もないところからでさえ、有を生み出すことがおできになる…。神とは、実に、そのようなお方(クリエイティブなお方)であられるということです。ということは、どういうことが言えるでしょうか。そもそも人間は神に似せて造らた存在であると聖書は教えています。ですから、その教えからすると、私たち人間も創造的な生き物であり、かつ創造的に生きていく存在でもあるということになるわけですが…。たとえば、毎日の生活の中で私たちはいろいろな問題に直面するでしょうし、ときにはそのことで不安にさえなることがあるかもしれません。そしてある人はそこであきらめの人生を感じるかもしれません。けれども、だからといって自分の方からあきらめの人生を決めつけないで、ほんの少しでも「神はこの私に何を望んでおられるのか」という態度でこれに取り組もうとするなら、その信仰的な態度が創造性を生み出し、やがて道は開かれていくのです。なお、このような創造的な生き方を自分のものにしていきたいという方は、ぜひ聖書を読むことをお勧めしたいと思うのです。なぜなら、聖書の真の著者は創造の神であり、私たちにとっては無限とも思える人生の知恵がそこにはかくされているからです。 
 願わくは、聖書を何回も何回もくり返し読むことによって、生きる知恵をそのつど発見していただきたいと思うのです。なお、「人生、山あり谷あり」と言いますから、これから先どんな問題に直面するかわかりません。わかりませんけれども、神に信頼して聖書を読んでいくなら、必ずや創造の神があなたに知恵を与え、生きる力や問題を克服する力をも与えてくださる…。そのような信仰の世界に生きるお互いであっていただきたいと思うのです。


【恵みの分かち合い】
1. 進化論と創造論について、自由に話し合ってみましょう。
2. 創造的な生き方とは、どのような生き方だと思いますか。

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